読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

脱サラしてまで芸大に入ったわけ 【1】 決断のきっかけ

僕が勤めている会社はそれなりに名の通った会社でした。


僕をよく知る人は無収入になってまで大学院に戻るという選択に関して「やっぱお前はお前だな笑 まぁでもお前のやりたいことはそれなんでしょ。」と呆れ半分に応援してくれる方が多かったけれど、少し距離のある方はやっぱり大層びっくりされます。中には「そんな選択肢があるのか」という反応をする方も。(とはいえ「やめた方がいいんじゃ」という人は一人もいなかった。本当に人に恵まれたと思います。)

 

芸大という道を選んだのは、やっぱりそもそも「いつかはアートや文化の近くで生きて価値をつくっていきたい」と思っていたからです。これは子供ころから、それこそ6歳とかの時代からぼんやりとずっと心の中にあったことでした。ただ、僕は学校の成績は悪くないけど将来などについてはそんなに具体的に考えたことのない、いわゆる「残念な優等生」だったので、「両親ともにサラリーマンだし、成績も悪くないからまぁ普通に大学行って普通に就職するんだろうなあー」という諦めと感じないレベルの諦めを抱えて、実際にそういう風に生きてきました。まぁ、もう少し詳しく話すともっと色々あるのですが。

 

じゃあなぜそれが今になって芸大に入り直したのか。
大きなきっかけは2つありました。

 


・死にたくないから

 

2015年の1月、僕は訳あって少し会社に行けない期間がありました。と言っても結果的には1週間少しだったのですが。


自分の不出来によるところももちろん多分にあったのだけど、そのころは大変に会社が辛かった。土日も仕事をしない日はないし、なかなか仕事がうまくいかず毎日怒られて、自信や正答な判断力が一切無い状態でした。

 

それでもその頃の僕は視野が狭まっていて「こんなに怒られるのは自分ができないからだ」と思い込み、毎晩手首に包丁を当ててみては「うん、死にたくない。死ぬよりはマシだ。がんばろう。」と明らかに正常の状態じゃない喝を自分で入れて会社にいっていました。僕だけが辛いわけじゃない。周りのみんなは普通に働いてるし。と。

 

けど、最後にちょっとしたきっかけがあり、会社に完全に行けなくなってしまいました。そこからは周りの方がフォローしてくれて、しばらく休むことに。

 

毎晩包丁を手首に当てる方法で正気を保っていたのが、その必要がなくなりました。

 

フッと緊張感が切れて考え直す時期。
本当に自殺未遂を起こした人や、のっぴきならない人と比べると失礼かもしれないけれど、それでも毎日「死ぬよりはマシ」と、死ぬことを意識の片隅に上げて生きてきた状態だったわけです。
そんな風にまで思ってやらなきゃいけないことだったっけ?詰められまくってまでやったこれは、もはや僕の作りたいものにはなっていないし、なんでこれに命をかけなきゃいけないんだ?

 

本当に近視眼的になっていたと思うし、今思うと間違いなく正常な状態ではありませんでした。せっかくぽっかり空いた1週間。ちょっと余裕が出て視野が広げられる今、逆に「なんで死にたくないのか?」を真剣に考えてみよう。そう外を眺めながら思い直しました。

 

でも、それを考えるのに1週間もいりませんでした。
すごく単純で、なんでこんなこと忘れてたんだろうと思うけど、
死んでしまうと、やりたいことができなくなるから。
僕のやりたいことは、「いつかはアートや文化の近くで生きて価値をつくっていくこと」。

 

それを達成するには生きて頑張らないと。

 


・子供の頃の「いつか」

 

周りの皆さんに助けてもらって励ましてもらって、休職という形を取らずに会社に戻ることができました。


そこからは周りともトラブルがあったことで逆に打ち解けられる部分が広がって。色々助けてもらって、頑張れて、だから応援してもらえるようになって、もっと頑張れる、という本当にいいサイクルに入ることができました。

 

自分で感じたことの一つに、「心の軸ができるって強いなあ」ということがあります。将来いつか芸術や文化の近くで働きたい。そしたら、この仕事で鍛えられるこの能力はこういう風に役立つだろうし、この仕事はこんなことが知れる!と、自分の行きたいゴールが定まることで今やっている仕事がどの位置にあるのかを積極的に設定できるようになりました。だから頑張れる。学びも濃くなる。(実際、単独公演をやった時にはその仕事の量多さと面の多さに「これは働いてないと絶対できなかった」と強く思えました。)


能力が増えていくと見える範囲も広がってくるので、自分のゴールを持ちつつ会社の方向性も理解できるようになってきました。そうすると少しずつ会社のことを好きにもなれてきます。最後の最後には本当に楽しく働かせてもらったし、会社を去るのが心から惜しく思えたくらいでした。

 

ただ、ある時、本当になんのきっかけもなくふと気づきました。
「いつかはアートや文化の近くで生きて価値をつくっていきたい」
の、「いつか」って、、いつだ、、、?

 

子供の頃の「しょうらいのゆめ」
面談で聞かれる「5年後あなたは何をしていますか」

 

この「しょうらい」「5年後」「いつか」、これって何もしないと、ずーーーっと「しょうらい」「5年後」「いつか」なんじゃないだろうか。
僕は26歳、子供の頃思った「いつか大人になったら」は、今じゃないのか。

 

そう気付くと、急にすごく怖くなりました。
「いつかやりたいなぁ」ってこの年で思ってることって、多分もう本当に今すぐ動き出さないと一生「いつかやりたいなぁ」って言って終わっちゃうと思うんです。じゃあもうその「やりたいこと」がお金が生まれないとか難しいとかそんなの考えてる暇ないんじゃないか?

 

その日から真剣にアートの近くで生きるために、を考え出し、会社から帰って「芸術 求人」で検索したり、見学会に行ったり、学芸員資格を取れる講座を探したり、勉強を始めたりしました。まだいきなり芸大生になると決めたのではなくて、プロデューサーやコーディネータといった職業も、地方公務員の文化振興課とかも、もしくは会社を辞めずに土日で何かしらのプロジェクトを持つも、全く決まっていなかったんですが、とにかく毎日「この『いつか』を実現するために『今』できること」をやっていないと気が済まなくなりました。

 

 

そんなきっかけがあって今この結果になっています。

 

この二つの気づきは去年だったから、年齢的には遅すぎますが、気付いてからは最速のタイミングだったんです。
生きて、やりたいことを頑張ろう。いつかやろうじゃなくて今動こう。そのテンションで、いつか死ぬまで。