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脱サラしてまで芸大に入ったわけ 【2】 なんでアートだったのか

この世に価値を作っていく
ということを考えた時に、僕がアートというものを選ぶことになったのは、僕にとってはものすごく自然なことではあります。ですが、100人居たら100通りの選択肢があるわけで、僕がそれを「自然だ」と思えていることにも必ず理由はあるのだと思います。
 
どうしてそれが「自然な」手段だったのか、を思い出してみたいと思います。

 

 
 
◼︎子供の頃は自由だったけど
 
子供の頃から絵を描くのが大好きな子供でした。
 
牛乳パックを切ったり工作をするのも好きで、マジックハンドを自分で作ってみたりなどもしていました。
「何かをつくると褒められる」というのが子供の頃の僕の一番根源的な動力源だったと思います。
 
最近気づいたのですが、それには父親が設計士だったということが大きいと思います。
(設計士と言っても個人で設計事務所やってて、と言った感じではありません)
図面の裏紙が大量にある家でした。絵はいくらでも描き放題でした。また、おかげで「設計図」というものを身近に感じられる環境でしたし(もちろんCAD図面の読み方は今でも全然わかりませんが)一番最初に知った仕事も「何かを書く」というものだったわけです。
幼稚園の時は外に出て遊んだ記憶がなくずっと絵を書いていましたし、小学校の時も毎週絵本を書いていたり、と言った子供でした。
 
「自分の得意なことは自分では気づかない」とは似ていると思うのですが、そういう環境が今の自分につながっていたのだと感じられるようになったのは最近です。中高でそれは失われるのですが、この頃は間違いなく「絵を描く・何かを作る」ことが自然な手段として備わっている子供でした。
 
 
◼︎残念な優等生に
 
そんな幼少時代だったわけですが、前エントリでも記載した通り、学校の成績は悪くないけど将来に関しては全然考えたことのない「残念な優等生」でした。気づけば塾に入り、そこそこの進学校に入学していい大学に入っていました。
積極的に価値を作る方法も知らず、「まぁそこそこの大学行ってそこそこの会社に入って、それなりの年に結婚してそれなりに生きて行くんだろう」とずっと思っていたため、特にそのコースに疑問も抱いていなかったわけです。
 
最初に入った大学では文学部で、1、2年が教養過程、3年時に専攻を選択します。そこでたまたま「そういえば絵を描くのとか好きだったしな」と、単位の数合わせに美学美術史の入門コースに出席しました。(この頃には絵を書いたりすることは完全になくなっていました。)
 
その授業は西洋宗教画の構図図法やイコノロジー(図像解釈学)についての授業でした。
例えば三角図法、モナリザのように、絵の主題や描かれているものの概観が三角形だと安定的に見える、とか、いこのロジーでいうと百合を持っている女性が聖母マリアである、とか、「なんとなく見ていたものにはちゃんとルールがあり」、「しかもそのルールは時代や背景を反映して変わり続ける」わけなんです。あぁ、これはすごい、と思いました。僕がただ「うまい絵だなぁ」と思っていた絵は、もっと深いものを持っていて、それはそれを読み解くルールを知っていれば知っているほど面白くなるわけです。その「どんどん意味や意図がわかっていく感覚」がものすごく面白いものだと感じましたし、そこで気持ちよく絶望したのは「僕らは世の中のものごとを100%受け取ることができていない」ということでした。ルールを知るとどんどん面白くなる。今まで僕はなんのルールも知らない状態で世の中にいたわけだけど、今まで感じた感動とか、それって本当に受け取れることのできる100%のものなんだろうか。ちょっとこれもうちょっと詳しく知ってみたい。。
 
受験前からもともと入りたかった専攻をやめて、美術美学史学専攻に入ることにしました。
 
 
◼︎芸術は人を救えると思った
 
その頃の僕といえばすぐ「死にたい」とか言ってしまうファッションネガティブでした。大して自分から積極的に救われようと努力もせず、周りが救ってくれないことを嘆いているなんてなんて甘ったれたバカ野郎だったんだろうと今からすると本当に恥ずかしい思いなのですが、視野が狭くレベルが低いその頃の僕としては「なんとなく生きているだけでそれなりに生きていけてしまう」というのは大問題だったわけなんです。(ものすごくイヤな奴な言い方になってしまいますが)それなりの大学を出ているし、世界レベルの特技も持ってるし。まぁ多分普通にサラリーマンにはなれるだろうし、死にはしないだろうし。世界は面白くないけど、別にそれで生きていけるし。でもこれがずっと続くのはちょっといやだなあ・・・。なんだろうなぁ・・・。
 
そんな僕にとって、現実への視点が変わる、気づかなかったものが見えるようになる、現実が広がっていくような芸術に触れるのは本当に生きる支えだったんです。僕の知らない面白い現実って言うのがまだまだいっぱいある!ということが最高に救いでした。
 
そういった、子供の頃からものを作って褒められてきた経験と、美術のルールに感動したこと、そして自分自身が救われた経験の全てが結びついて「いつかはあの世界に居たい」と思う気持ちがずっとありました。
 
とはいえ「自分で価値を作り出していく」方法を知らなかった僕は、「いつかは芸術の近くで仕事がしたいなあ」と思いつつ、具体的にどうすればいいかわからないし、とりあえず就職できるところにみんなと同じように就活をして就職しました。
少し遠回りだった風に見えるかもしれませんが、今ではこの選択は本当によかったし最短だったと思っています。甘ったれでただ救われたいだけだったどうしようもないやつでしたが、そんな僕にも価値の作り方を丁寧に教えてくれる人たちに恵まれました。徐々にこの「やっぱり芸術の近くにいて、『人類を滅ぼしたい』とか思っているやつに『いや意外と現実面白いよ』って言ってあげられるように生きていきたいな」という気持ちが、より具体的に固まっていくことになります。