「リアリティ」という概念

リアリティ、という概念が最近あるなあと思っています。自分の中で、ですが。

うまく言えないのですが、「自分の見えている世界をより深く感じること・より深く感じさせる力」のことをなんとなく総称しています。

 

一番最初に「現実って僕が思っているよりも濃かったんだ」と気づいたのは、いつかのエントリで書きましたが初めて大学で美術史の授業を受けた時です。僕が「うまい絵だなあ」という風な感想しか抱かなかったようなものが、実は宗教のメタファーが隠されていること、その頃特有の構図を使われていること、など、文脈やルールを知り考察しなければ読み取れない意味の層がものすごく重なっているものだったんです。このことにものすごく感動して。「僕たちはこの目の前の現実を100%受け取れていなかったんだ」と強く感じたのを覚えています。

 

 

◼︎「リアリティ」という概念

 

とある作品を作るために、この現実を100%受け取ろうという姿勢について考えて、そのおかげで少しずつ構造化できるようになってきましたのでまとめてみます。

「目の前に置かれている物事をどれくらい感じることができるのか」。この指標を僕は「リアリティの濃度」と最近呼んでいます。

 

そしてこのリアリティの感じ方には大きく2種類あると思っています。

 

① 作られた/そこに「ある」までの過程をトレースする(歴史のリアリティ)

② 作られた/そこに「ある」までの意図をトレースする(意図のリアリティ)

 

 

◼︎歴史のリアリティ

 

①を感じたのは、僕が大学生の時、それこそ美学美術史学専攻の初めての課題で横浜美術館に行き、あまり有名ではないのですが「チャールズ1世とクロムウェル」という作品を見た時でした。とにかくでかい油絵で(今だったらもっと大きい作品も知っているのですが初めてだったので)「え、これを人が描いたの・・・?!」と大変びっくりしました。

遠くから見てその大きさからものすごい時間がかかったんだろうなぁと想像し、顔がくっつくほど近づいてそれでもこの色が重なっている部分とかちゃんと描かれてるすごい・・・、と、作業過程を想像しながら見ると膨大すぎて押しつぶされる思いでした。それがまた、300年くらい前に描かれてからいろいろあってここにあるわけで・・・!

 

絵を見る、というと僕たちは例えば描かれている人物の顔だったり、大きく書かれている部分だったりだけをパッと見てしまいがちですが、画家はそのキャンバス上に描かれている全てをその手で作り出しているんです。足の小指の爪だって画家が描いているものです。そのことを思い出して時々感動します。

「うん、そういう絵ね」と一瞥で済ますのではもったいない。「どんな手順でこれが作られたのか」「どういう環境を経てきたのか」などが感じられる状態・感じさせる力が高いことを「歴史のリアリティが高い」と言っています。

 

 

 

◼︎意図のリアリティ

 

②の例は、とある年のメディア芸術祭で「Death calls the tune」という作品を見た時です。


 

 

 

蓄光カットシートが貼ってあるターンテーブルが周り、そこにブラックライトで当てられた字が流れていく、という作品です。

 

単純に見た目もとても綺麗だしターンテーブルにブラックライトという単純なのに絶妙な組み合わせを引いてきたところにもすでに感動するのですが、このターンテーブルに流れてくる文字は「各地で流れる人が亡くなったニュース」なんだそうです。そのニュースが次々に流れては消えていく。ただただめちゃくちゃ綺麗な見た目に反して、心臓につき刺さるようなコンセプトです。そういったニュースは溢れかえるように流れてはまさしくブラックライトの光跡のように薄れて消えていく。それが作られた・それがそこにある意図をトレースするのは「意図のリアリティ」を感じることです。

主張やメッセージの読み解きはこちらに分類されるかと思います。

 

 

◼︎「リアリティ」のある作品を作っていきたい。

 

どちらにしてもルールや文脈、というその背景を開く「鍵」を持っていないと開けない部分があると思います。さらに、本人の中に照合できる記憶があるのか、でリアリティの深さは変わってきますし、読み取る能力の高さにも依存します。

 

そしてもちろん発信する側の能力や込めているものの濃さは前提です。

「伝わらない」時は「発信者がわかりづらいことばっかりやってる」のではなく、もしかしたら受信者側の「鍵」が足りなかったのかもしれません。「伝わっている」時は、発信者の発信の質も良く、受信者も積極的にメッセージを受け取りに来れている状態でしょう。「リアリティのやりとり」があるとき、どちらか一方が100%悪い・いい、ということはないのだと思っています。

 

また、上記通り、個人の記憶や能力に依存する部分も大きいということは、特定のものから感じられるリアリティは人によって異なるということが言えます。それを喜ばしいとするか難解とするかはその人のスタンスによると思うのですが、僕はこれが多様な価値、それぞれ個人が大事にしたい世界を大事にすることにつながるので大変良いことだと思っています。○いう作品を出した時にAさんは◻︎として自分の中に取り込み、またBさんは同じものを△として取り込む、とかすごく素敵じゃないですか。この世全体の価値が増えている感じがします。

 

どちらにしろ、僕がすごく感動したのは「見えていたのに感じられていなかったものがあった」ということです。自分としてはそういう気づきを誘発するような作品を作る人であり続けたいなと思います。