脱サラしてまで芸大に入ったわけ 【5】「退職」を整理する

【4】でお話しした通り、戦略を固め、2つの学部を受験しました。
 
1校目は意思を伝えることができ合格をいただけたものの、2校目は1次試験で不合格。確かに分野が少しずれていたので仕方がないことだったのだと思いますし、1次の書類の時点での不合格、というのはおそらくその「分野へのフィットしなさ」という部分だったのだろうなと納得しております。(映像専門のところだった。)
 
合格をいただけたら、最後に一番頑張らねばならないイベントが待っています。退職です。
 

 

 
 
◼︎「ごめんなさい」は「でもこうします」とセット
 
新卒で入って、本当によくしていただいた会社だったので、退職を伝えるというのは「申し訳ない」という思いが心のほとんどを占めていました。自分の仕事に穴を開けてしまう、お世話になった方々に恩を返せずに関係が終わってしまう。自分のこの行動が周りの迷惑になるのではないだろうか。合格直後は本当に嬉しい気持ちで満たされていたのですが、現実的に入学までの時間が進んでいくと少しずつ胃が重くなってくるような思いに変わっていきました。
 
積極的にそうしようと思ったわけではないのですが、ずっとずっとそのことを考えていると想定される問答をおおよそ想像してしまうわけです。「お前の抜けたあとどうするんだ」とか、これ聞かれるんだろうなぁ、、、というような質問と、それにどう答えよう、、、というロールプレイングを、100回以上は繰り返したと思います。ただ、どの質問も3段階ほどいくともう最後の回答は「ごめんなさい」にしかならないわけです。「この言葉以外に言葉が見つからないけど、これは何も返せていない・・・」とずっと絶望的な気分ですごしていました。
 
でも気づいたのは、この「ごめんなさい」というのは裏返せば「でも考えは変えません」という意味なわけです。止められても行く決意は変わりません。もうあと100回考えてもごめんなさいと言うしかないんです。「じゃあ会社に残ります」という言葉が続くわけではないものです。どんな戦いになろうとも意思は変えない、という前提ででている言葉です。
 
その裏返しに気づいた時に、「僕はどんな戦いになろうと考えは変えませんが、、、それでもあなたを大切にしたいんです」という姿勢から出るのが「ごめんなさい」という言葉なのだとわかりました。謝罪の言葉で飯は食えないし、割ってしまった窓ガラスが変わるわけではない、本来そもそも本当に無意味な言葉です。でも、だからこそ、この言葉を言う理由を考えること、伝えることにとても意味があるはずなんだと思いました。
 
正当化や開き直りに近い論理であることはわかっているし、ご恩を一つも返せていないのもわかっているのですが、それでもこの「大切にしたい」という思いが自分の中に明確にあるということは、少しおかしな精神論理ではあるかと思いますが、なんだかとても自信が沸いてきました。「あぁ、じゃあ僕は絶対にこれからもこの会社を応援する人としてここを卒業しよう」と決意することができました。
 
 
 
◼︎卒業する人を応援することは、遠くに仲間ができること
 
自分の退職の悪い部分を必死に正当化しているように聞こえてしまうかもしれなくて少し居心地の悪い気分もありますが。。僕自身も送る側の立場を何度かやってきて感じたことがあります。
 
卒業する人を応援することは、遠くにすごく心強い仲間ができるような感覚だと思うんです。
 
僕の元いた会社はそれなりに回転の早い会社で、僕の上司は何人も卒業して行っています。起業する人、転職する人、独立する人。それぞれ皆さんとても前向きな理由で出て行かれています。中には今でも連絡を取る方も多いし、普通に飲みに行く人、たまに一緒にお仕事をする人、僕がその人のお客さんになる人もいます。もちろん残念ながら疎遠になってしまった方もいますが、そうでない方も多くいます。今までと変わらず、むしろその後も続いている方とは少し関係性が進むような感覚に近いです。
 
今まで同じ会社で同じ立場(上下はあるものの)で同じものを目指していたのが、立場が変わり視点が変わることで、お互いに相手の持っていないメリットを提供できる。「こういうことできない?」「こういうことやりましょうよ!」と言える違う立場の人がいる、困った時に違う視点を聞きに行ける人がいる、というのは、なんだか味方が増えたような気がしてワクワクしませんか。これって、自分の仕事の範囲・限界が広がっていますよね。その人もその立場にいると手が届かない場所に僕を介してアクセスできるかもしれない。例えばもともとTVにいた人が出版社で芸能関係が得意な記者になって今までのTVの同僚とまた別の新しい形で仕事をする仲間になっている、のような感じで。同じ視点や視座を失ってしまう代わりに、お互いの可能性を引き出し会える可能性も出てくるんです。
 
上司の退職は悲しいですが、きっと僕が立派になって、「こういうの一緒にやりましょうよ」って言いに行けるようになればいい。やっぱり人とは仕事で繋がるのが一番面白いと思うんですが、仕事で繋がれるなら、じゃあ仕事を作れる人間になればいいわけです。関係性は終わらない。むしろ進化する可能性もある。
 
在社当時は思っていてもとてもじゃないけど言えませんでしたが、誰かが退職する、となった時には、4割くらいはこのワクワク感がありました。
 
そして、この整理ができた時に、もしかしたら別の形でまた誰かと一緒に何かができるということもあるかもしれないし、そういうのを作れるような人間にならなければ、という覚悟も固まりました。
 
 
◼︎そこに居るのであれば、そこに居た意味を作る
 
自分の中で十分に整理させていただいて、丸4年の会社員生活を終えました。
 
本当に周りの皆さんには感謝しかありません。
 
まずは直属のリーダーに伝えたところ、むしろ「ずっと抱えているの辛かったね」と気遣ってさえくれて、その上の皆さんも「お前はその方がいいね笑」と言ってくれるような形で、卒業すること自体はすんなりと受け入れていただけました。(もちろん、フォローや僕の後の人事などたくさんご苦労はおかけしたと思います。)周りから見ればかっこ悪い罪滅ぼしではあったと思いますが、僕自身も最初想定していた1月末退社から2ヶ月伸ばし、大学籍が発行される前日の3月31日まで、最後の最後まで働くことにしました。
 
もちろんご迷惑やお手間をかけてしまったのは変えられない事実であり、そこはごめんなさいと言うしかありません。ですが、久しぶりに元にいたグループの皆さんとお会いしたら、後任の人は僕よりがんばってるよ!と冗談めかしたいい笑顔で言われてしまいました。でも僕がいた立ち上げの部分は僕で良かった、ともやっぱり言ってくれて。例えば、「僕がいなければいけない組織」なんていうものはなくて、組織はその時いる人でしかならない形にちゃんとなっていくんだろうなあと思いました。仕事に穴が開くとかはないし、一人抜けて穴が開いてしまうのは組織として危うい形だと思います。ですが、それは僕がいた意味がないというのではなくて、そこに居るのであれば自分がいなくなった後にも残るような「そこに居た意味」を作って、置いていかなければいけないということです。自分がいないと回らない仕事を増やすのではなく、自分から切り離された価値を置いていける、というのはこの世の価値の絶対量が増えるということだと思います。
それにそもそも、転職もそうですが、定年も、例えば極端に言えば死んでしまうこともありますし、居なくならない人はいないわけですから。
 
悔いや申し訳なさがないと言われれば100%ないとは言えません。ですが、肯定することのできる卒業の仕方を、本当に周りの皆さんのおかげですることができました。