脱サラしてまで芸大に入ったわけ 【6】入学してからも心がけたいこと

ついにこの「入ったわけ」シリーズも最終回です。
次回から水曜日は感じたことや制作したものの意図などをエッセイ的に書いていこうと思っています。
 
 
 
というわけで入学し、居住地を変えて新生活が始まりました。
 
この生活に入るにあたり、「結果を出すために」に心がけようと決めたことが二つありました。
 
◼︎社会人の時に働いていたテンションを保つ
 
大学生の時はそれなりに自堕落な日々を送っておりました。生活時間は乱れ、何を学んだのかと聞かれるとうまく答えられないし、卒論もその時はその時なりに真剣に書いたつもりでしたが今見ると意味不明。
こんなことを繰り返して卒業するわけにはいかないという決意と、社会人を一度やって時間の大切さや結果を作ることへの徹底力の大切さを実感した自分が、こんなことを繰り返されるはずがないという誇りを持ち続けるために決意したのが「働いていたテンションを保つ」ことです。
 
働くというのは「世の中に価値を生み出し、その対価をもらうこと」だと未熟な4年間で学びました。学生であるうちは「価値を生み出す」というのは立場的に難しかったりします。課題があって、その解決を望む人がいて初めてそれを解決し「対価をもらう」ことができるので、その課題があったとしてもその解決の依頼先として僕のところには回ってきません。
ただいつかはまたその立場になるし、その立場だったこともあるわけです。「価値を生み出すには?」という視点を持って動いたことがあるわけです。
 
だとするならばその姿勢を忘れてしまうのはもったいないし、その姿勢でいたほうが得られるものも全く違ってくるでしょう。
 
そのもっとも効率よく、早く価値を生み出すためにやっていた姿勢をそのまま続けて学ぶ姿勢に変えようと思いました。
具体的には目標の設定をする(1ヶ月に1作品以上)タスクの分割をする(制作をガントチャートにして管理)、時間を守る(Google Calenderに1時間ごとの予定を記入)そして、このブログをやる、ということを守ることにしました。
 

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例えばGoogle Calenderはこんな感じです。結構きちきちにやり過ぎてしまっているかもとは思います、、、
 
このエントリに書きましたが、この立場になってしなければいけないことはとにかく自己管理だと感じました。
 
周りから見ると僕の立場は「自分のやりたいことのために頑張れている幸せな人」です。確かにその一面もありますが、自分の全責任を自分で負っています。さらに言えば思いつめやすい僕は、親や応援してくれた友達のために結果を出す、出さなきゃ死ぬ、みたいな追い詰め方をよくしてしまうわけで、ちょっと疲れて進捗のよくない日が続いてしまった時など自己嫌悪がもう半端なく襲ってくるわけです。
 
ここはまだうまく解決できていませんが、こういう風な管理をしていなければ今よりももっと進んでなさに落ち込んでしまっているのだと思います。
その「価値を生み出すために」という姿勢が強すぎて、いきなり4月5月から結果を出す計画を立ててしまいつまづきましたが、成長がある程度形として見えますし、自分の弱い部分に負けないためのこの姿勢が間違っていることはないと思っています。
 
 
◼︎のどかさ、1秒1秒を大切にする
 
自分にとってはですが、ビジネスは1秒に作り出せる価値をどれだけ高められるか、という勝負でした。
勉強をするというのは1秒からどれだけの価値を感じられるか、の勝負だと思います。
作業効率はもちろん重要だけど、「見過ごされた価値を取り戻すこと」を意識しなければなりません。
 
そのためには規則正しく良い生活をしよう、と思っています。
朝起きて朝ごはんを食べる、掃除をする、筋トレをする、といった毎日の小さな自分との約束を守っていくことで、「自分は約束を守れている」という気持ちがたまり、自己肯定感を持つことができます。自己肯定感を高く持ち続けることができれば、それだけ他者を好きになれる、というシステムが仕組みはわかりませんが人間にはあるようなのです。
好きでいられるということはよく見るということであり、よく見るということはそこからたくさんの感動を受け取れるということでもあります。敏感になれるのです。
 
会社員の頃はもう銃弾のように朝跳ね起きて会社に行って、1秒も無駄にせず動いて家に帰ったら寝る、みたいな生活で、明確に結果がわかる世界だったので、結果を出していれば生活なんて省みる必要もなかったわけです。ですが、そんなわかりやすい指標がなくなった今、しっかり吸収していきたいのであれば、むしろゆったりとした生活を「できるように心がける」のが良いのではないかと思っています。
 
引っ越してきてすぐの入学前は顕著で、自己肯定感も高く、新しい土地なわけですからどこを歩いていてもその風景に感動するわけです。空ってあんな色するんだ、煙突の灰色って緑に凄く映えるなあ、とか、もう本当にたくさんのことを感じました。毎日ちゃんと朝起きて散歩をしていました。このテンションを保っていきたかったのです。
 
これはもちろん、しっかり勉強をし、社会に価値を生み出していくために、ではあります。
 
 
◼︎で、やっぱり感じたこと
 
それでもやはり移動の多さや芸術の世界のルールのわからなさ、将来の見えなさに心が弱ってしまうこともありますが、今も、行き帰りの通学路にちょっと感動できるくらいの自己肯定力を保ててはいます。前回の日報で書いた通り、思いつめやすいタイプなのでもしかしたら少し緩めるくらいの方が余裕を持てていいのかもしれません。
 
たまに入学前の5日間ほどを思い出すようにしています。
 
あの時は時間もあったから、すごく世界がゆっくり見えて見るもの全てをより深く見れていたのだと思います。桜ってこんな綺麗だったっけ、鉄塔って夕日に当たるとめちゃくちゃいい色するなぁ、この傷はずっと雨に耐えてきて付いたんだろうなぁ、とか「ああ、大金を稼いで大金持ちにならなくても、貧乏でもこんな風に1日1日を感動して過ごして死んでいけるなら何もいらないな」と思っていました。
誰もがそんな風に、心の充実した生活ができるような世界を作ることに頑張りたい。
それは多分難しいことじゃなくて、ちょっと気づかなかったことに気づいてもらうだけでいいのだと思います。何か一つ、感動するものと出会えるだけでいいのかもしれない。少なくとも僕はそうでした。ものごとを見る解像度、いつかのエントリで触れた「リアリティ」がぐっと上がる瞬間がありました。
 
 
 
今はちょっと迷子になりかけてしまっていますし、「これで本当に頑張れているのか」という不安はぬぐえません。
でもこうしてわざわざここにきた意味を思い返すと改めて、その時がいつになるかはわかりませんが、結果を出すためにしっかり勉強しようと何度も何度も思うのです。