修士1年の過ごし方 方向修正

4月に計画を作り、5月にボコボコにされて、6月も半ばになりました。
 
センサーが慣れてきたのか、4月よりも時間の流れが早く感じます。
 
6月、少しゆったりと過ごしてみて、一旦はこの方向性で行くのがいいのではないだろうかというのが少しずつ見えてきました。

 

◼︎「ファインアートの世界」は一旦見ない
 
僕の大きな課題が「取り扱いできる形式の作品がない」ということでした。
現代アートの世界では、やはり「価格がつき売買される」というのが一番の価値基準になっています。このままやっていてもアート(ファインアートのマーケットとしての)の文脈には入れない可能性が高い。現時点では僕はそういった手段、そして考え方を何も持っていません。かなり長い時間の修練と考え方のシフトが必要なのだと思います。
 
僕は最終的には「現代サーカス」という文脈を作ることができないだろうか、と思っています。
ファインアート、メディアアート、演劇、ダンス、工芸、芸能、芸術、重なっている部分もありつつそれぞれが違うルールと作法で動いている文脈です。「『アート』と一口に言っていたけど、どうやらファインアートとメディアアートの文脈も違うみたいだ」というのは芸大に入ってみて得た大きな知見でした。
 
これらの中に、「ジャグリング」は無理でも、「サーカス」という大きなくくりなら並べると僕は思っているんです。だとするならば、長い時間をかけて「どうやったら形のある作品を作り出すことができるのか」と、ジャグリングを素材としてファインアートを作ることに頭を悩ませるよりも、ファインアートや演劇などの要素を取り入れる、という、主軸をあくまでジャグリングパフォーマンスにおいた方が良いのではないかと思っております。
 
僕が作りたいのは「そこにいたいと思わせる風景」です。そういった作品をやりたいし、そういった作品が大好きです。梅田哲也さん、毛利悠子さんなど、アートの流れに乗っている方にも大好きな作家さんは多いのですが、例えばニブロールだったり、チェルフィッチュだったり、「ダンス」や「演劇」の方面にもすごく好きな世界観を作っている方々も多くいらっしゃいます。そして、今後の「ジャグリングの認知向上」という意味では「ジャグリングを直接的に生かせて相性がいい」のはその方面に姿を見せることなのかもしれないと思います。
 
もちろん形のある売買できる形式を諦めたわけではありません。ファインアートの文脈に乗るのではなくとも、形のある作品が作れるというのはすごいと思うのでやっていきたいことですが、それをするにはあまりに僕の現時点で持っている手段が少なすぎるし稚拙です。その克服ももちろん一つ自分の課題としながら、一旦はそちらを最終目標にしない、という方向性で行こうと思います。
 
 
◼︎手段を増やす
 
上から派生することですが、やはり手段を増やすのは非常に重要なことだと思っております。
 
最近、課題で例えばパフォーマンスの作品を作ろうとしているのに考えていくうちに「あ、ちがうこれじゃ映像作品だ」みたいになることが増えてきて、自分の中で「手段」という制約が無くなってきたように感じています。
 
これまではジャグリングしか手段を持っていなかったので、ジャグリングという手段から考えてしまうことがほとんどだったわけなんですが、そうするとやはりジャグリングを見せる作品になってしまうわけです。
 
この「表現したいこと」が先にあって手段が変わってきてしまうのは、逆説的ではありますが「映像について」「パフォーマンスについて」「写真について」を考えられるようになったからこそなんだと思います。映像、パフォーマンス、を少しだけ知って「選べるようになった」からなのだと思います。(とくにこの二つは好きな手段なので、映像とパフォーマンスでよく起こります。)
 
まだまだ本当に小さなスパークですが、毎週毎週課題や何かで作ることを考えていることによる進化はあるのだなぁと感じた次第です。
とすれば、やはり僕のすることはまずは手段を増やすことなのではないかと思っております。
 
その中でも特に自分の興味の方向でもあり、パフォーマンスやダンスと相性の良い「メディアアートを扱う上での基礎教養を身につける」というのをこの1年で頑張ってみようかと思います。
 
これは決してジャグリングを弱める、という意識の方向ではありません。そうではないのですが、サーカスという一つ大きい呼称を使うには「ジャグリングの作品」であることは越えなければいけないと思っていて、「ジャグリングの作品」というところを脱するためにはジャグリングの濃度を薄める必要があるとは思っています。例えば1時間のショーを見た感想が「ジャグリングうまくてすごかった」ではダメだと思うんです。ジャグリングの「技術」が見るものの中心にあり続けるのは単純に見ていて辛い。技術自体を見せるだけでは、「自分にはできないすごいこと」という認識が観客2できた瞬間に終わりだからです。例えばジャグリングの「軌道」に注目して欲しかったり、少しずつ加速する動きが感情の高ぶりを表していたり、「見方」というものがあるとおもうのですが、そのジャグリングの見方を提示するのに使うのがテキストであったり、メディアであったりすると思うのです。そういった要素が入ってくるので、ショーの時間として相対的にジャグリングの濃度はどんどん減っていくと思っております。
 
結局一旦は「学生は勉強をしなさい」というところに落ち着いてしまいました。
これまでバリバリ働いて「お客さんに喜んでもらってお金をもらう」ということをやっていた身としては、もちろん毎日とても楽しい気持ちではあるのですが「本当にこれでいいのか」という気持ちが、それはもうマグマのように湧いています。5年後に必ず価値を返す、と何度も何度も言い聞かせてやっていこうと思います。