「ホスピタルアート」の可能性

ホスピタルアートと言う分野があります。
 
 
 
名前をちゃんと聞いたことはなかったのですが、病院にクラウンが入ったり、アート作品を設置したりと言うことがある、それが患者や職員の心の安らぎになっている、そういった取り組みの形態がある、と言うのは知識として知ってはいました。
 

 

 
先日、病院で作品を設置するプロジェクトの一環で病院を実際に視察させていただく機会がありました。
 
 
■病院という現場の緊張感
 
僕は体はあまり強くなく、頻繁に熱を出したり吐いたりといったレベルで体調を崩したりはするのですが、大きな病気をしたり入院したりといったことはありませんでした。
なので病院へいくといっても風邪をひいた時に近くの個人開業のクリニックに行くくらいです。今回訪問させていただいたのはかなり大きな病院。集中治療室や入院棟もしっかりしているところです。その中を職員さんに直接ご案内いただく、という非常に貴重な機会でした。
 
もっとも印象的だったのは、入院棟や手術関係の部屋の近くは、本当に「空気がはりつめる」と言うしかないようなピリピリした緊張感に包まれていたことです。そりゃそうです。職員の方々は一つのミスが大変なことになってしまうわけで、入院されている患者さんも元気になろうと必死に頑張ってらっしゃいます。その中を見学する僕たちもマスクなどを装着して拝見する。実際に体験しないとうまく伝えられないし、僕自身正確な言葉にできないのですが、本当に「緊張感がすごい」んです。足音を立てるのも憚られるほど。大変に失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、部屋を出た時に「ふぅー」と大きく息継ぎをしてしまうほどでした。
 
サラリーマン時代はそれなりに緊張感のある、というか締め切りに終われる仕事をしていたわけなんですが、それとは全く別種の緊張感です。僕らの根底は「良いサービスを作ろう」という理念があり、だからこそ少しでも「前に進んでいる」という実感があるし、「世の中に良いものを生み出そう!」というポジティブな気持ちを持つことが比較的持ちやすかったわけです。そういう中では例えば物事をうまく進めるための冗談をいうのもスキルの一つだったり、「楽しい」という空気を作る、それをエネルギーに変える、というモチベートの仕方ができます。僕も結構「ミーティング一回につき一回は相手を笑わせよう」という考えを持って積極的に場を和ませ、それでうまくいっていたのですが、そのコミュニケーションスタイルは病院という場だと大変難しいのだと感じました。
 
世界が違う、と感じられるほどの緊張感。もちろんそれはそうなんですが、実際に目の当たりにすることは大変なリアリティがありました。
誇らしげに語ることでは全くないのですが、僕は、会社で毎日詰められ、追われ、まともに物事を考えられなくなり心を壊してしまった経験もあります。それは特定の方から追い詰められて、という形でしたが、その心が締め付けられる空気、は病院の緊張感に通ずるものを感じました。なので、患者さんの病状はもちろんのことですが、そのプレッシャーを負って働かれる職員の方々の心の健康が真っ先に不安になったところでした。
 
 
■アートで「救える」もの
 
だからこそ、そういった場面での芸術やアートの必要性をひしひしと感じました。
そもそもアートの役割とは何なのか。とても当たり前にいつも考えることなのですが、やっぱり一つは「救い」だと思っています。
 
アートには二つ、大きな特徴があります。
 
・鑑賞者(利用者)に直接利害関を生み出さない
・「感動」が根源
 
この二つは、そっくりそのままアートが「役に立たない」「実用性にかける」と言われる特徴点なんですよね。どうにか流れに乗せて、生活できる形態を作り出そうとしても根本この二つがやはりネックになるところで。でも、この二つの特徴があるからこそ、人の「心」を変える力がとても強くあると思うのです。
 
例えば、この投資をすればこれくらいのリターンが見込める、といったロジックや計算、具体的な利益によって「行動」を変えることはできます。
でも人生にとっての一大事は往往にして「利」で判断ができる問題ではありません。自分の死にだったり、幸福だったり、なんのために生きるのか、だったりするものです。それは四六時中ぶつかり続けることが稀な問題だったりします。失恋だったり、何かを決断するために迷っている時間だったり。対応策は「自分の心の持ちようを設定すること」だと思います。そうして現在の問題や迫り来る問題を受け入れる、立ち向かっていくのです。敵は不安や恐怖。これらは「利」によって、AとBならAの方が利益が上がるからA、となる問題ではありません。
 
病院というのは、この「ずっと考えている状態が稀」なはずのクリティカルの問題にぶつかり続ける場です。体の不調以上に、恐怖と不安と戦う場でもあるわけです。
 
キュレーターやギャラリスト、そのプロジェクトを始めた人、といった利害関係者は存在しますが、鑑賞者がその作品を鑑賞することで明確な金銭などを受領するわけではありませんし、その鑑賞によって誰かが損害を被るといったことはありません。そういった関係を作り出す力がないわけではありませんが強くありません。だからこそ圧倒的に「自分に関係のない他者」としてその作品に関わる、意味を受け取ることが可能になってきます。全く自分の問題に関係のないものだからこそ、そこから見つけた意味は自分にとって強い意味を持つことになるのです。
 
そんな「第三者」であるアートがその場にあること。
患者さんの心が安らげば、職員さんとのコミュニケーションも増え、緊張感やストレスもより良い方向に働いていくのではないかと思います。
 
もちろん、病院という場にふさわしくない作品もありますが、アートの中にはそういった特徴を持ち、ホスピタルアートになりうるものがある、そしてそれはその「アート」でなければ実現が困難であるという点は否定できないものであり、強い可能性があると感じました。
 
■もっと広がる可能性はあると思う
 
さらに制作過程に関わってもらう、作品の題材になってもらう、といった関わり方を増やすこともできます。アメリカなどでは「ホスピタルアート」というのは立派に分野を確立しているそうです。
 
問題はもちろんまだまだ色々あると思います。アートというものの範囲がどこまでなのか(売れているアーティストが入って作品を置く、といった形ではなく、壁に色を塗ったり絵を描いたりする、といったものも範疇に含まれる)だったり、やっぱり「利」の考えはわかりやすいですから、そんなことより医療器具の充実を、といった意見には反論しにくいです。結果を出して重ねていくしかないのでしょう。
でも、とても可能性がある分野なのではないかと思っています。「心の問題」を救うことができるのは感動であって、その「感動」というものをど真ん中に扱っているのはアートだけだからです。
 
また、自分にとっては「やっぱりアートは救うことができる手段だし、そういう形で価値を生み出したい」と改めて確認する機会になりました。
「心の問題」に対するソリューションとしてのアート、というのは大きなテーマであり、医療だけでなく教育、地域活性などの問題もアートをきっかけにいい提案ができるのではないかと思っています。